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月夜に兎・静かの海05





 数週間前――――が不機嫌を毒電波のように撒き散らしていた頃よりももっと前、が元老に召喚される以前に神威は単独で元老の下に呼び出されていた。
 阿伏兎を通さずに直々に話がしたいというから何の話かと思えば、元老の語った内容は実に神威にとって退屈極まりないものだった。
 白兎と呼ばれる愛玩用の夜兎族についての話だ。
 どうやら白兎を管理している組織が、販売ルートを地球の吉原にも伸ばそうとしているらしい。当然、吉原は夜王・鳳仙の管理下にあり、そこで商売を始める仲介役をしてくれれば春雨にもマージンを寄越すという仕組みで、先方から提案があったのだそうだ。
 元老の中でも賛否両論らしいのだが、賛成派がわずかに勝っているのと、吉原を実質的に支配する鳳仙が無関心であるため、このままこの話は推し進められる可能性が高いとの事だった。
 神威にとってはどうでもいい。吉原に白兎が流れ込んで地球の男どもが堕落しようと、春雨がどれだけの利潤を得ようと、そんな退屈な話のために呼び出したのかと思うと立場上、団長などをやっていても、こんな組織はまるごとぶっ潰してやろうかと嫌気がさした。
「それで。俺を呼んだのは、そんな話をするためなんですか」
 いい加減飽き飽きしてそんな事を口走ると、同席していた別の師団長が咎めるように神威の名を叫んだ。
「だって退屈なんだから仕方ない。それとも……あんたが俺の相手をしてくれるのかい?」
 剣呑な空気を纏って師団長の男をねめつけると、男は慌てふためきながら元老の御前だとか、場を弁えろだとかつまらない事を言った。その姿があまりにも滑稽で、込み上げた闘争心すら引っ込んでしまう。ため息すら欠伸になって出て来てしまいそうだった。
「まあ良い。神威、貴様を呼んだのは、お前のところの団員を引き渡してもらうためだ」
「団員?」
「そうだ。第七師団にも居ただろう。目の紅い、白兎が。あれをあちらに引き渡すのが、破格の仲介料の大前提だ」
 元老の低い声と共に、神威の瞳孔が見る見るうちに細まっていく。
 殺気が駄々漏れになるのも自重せず、神威は唇に凶悪な笑みを浮かべて元老を見据える。
「わかりませんね。と白兎の販売ルートにどんな関係があるんです? 取引に条件をつけてくるなんて、そもそもこの取引は破綻してる」
「かもしれんな。だが、彼奴らの財力は馬鹿にできん。たかが団員一人と引き換えならば、決して損な取引ではあるまい。その後、小娘をどう料理しようと、我らは与り知らぬことよ」
 神威が手をかけたテーブルの端に、ばきばきと亀裂が走り粉砕した。相変わらずの笑顔だが、神威がどれほどの殺気を湛えているか、その場に居合わせた者は恐ろしいほどに感じていた。
「あれは俺のオンナですよ。如何に元老院でも……に手を出したら殺します」
 脅しではない。それは警告でもない。
 今ここで返答を誤れば、神威はきっと損得勘定など忘れて、目の前の元老と呼ばれるしわくちゃの老人を殺しにかかるだろう。護衛が何人立ち塞がろうと、悉く息の根を止めにくるはずだ。
「少し調べさせた。あれの母親も白兎なのだそうだな。それも希少な、女王兎と呼ばれる特殊な遺伝子を持つ者だ」
「それが破格の仲介料の理由ですか。でも、そんな事はどうだっていい。この取引……受けるのですか? 受けるなら俺にも考えがある」
 神威が背に負った傘に手をかけた。
 瞬間、部屋中に待機した護衛たちが一斉に銃口を神威に向けた。
 ぐるりと部屋中を見渡し、護衛の数を概算する。
 四十人、いや五十人――――何人だって構わない。血が沸騰するように、どくどくと身体が昂揚していく。
 だが、それを諌めたのは神威の前に対峙していた老人だった。
「神威。武器を納めよ」
「納めるのは構いませんよ。でも、俺は素手でだってあんたの首を落とせる」
「冷静になれ。ワシが何の手も打たず、貴様にこんな話をすると思うか? 第七師団の戦艦はここからどれほど離れた場所に停泊している?」
 一瞬、老人の言葉の意図を汲みかねて、神威ははっと息を飲み込んだ。
 やられた――――
 さすがに春雨の頂点に上り詰めるだけある。謀略などお手の物という事か。
「ワシが死ねばオンナがどうなるか分かるな? 場末の売春宿で手足を失った兎と再会したいか?」
 一瞬、その光景を夢想して、神威は奥歯を砕かんほどに強く歯をかみ締めた。
 どくり、どくり、と心臓が跳ね上がる。
「あり得ませんよ。はそんなに柔じゃない」
「白兵戦ではな。この宇宙空間で、逃げ場があると思うか?」
「……ハッタリだ。あんたが自分の命を賭けてまで、俺を出し抜く理由はない」
「予防線はいついかなる時にも張っておくものだ。命を惜しんでいては、宇宙海賊などやっておれまい」
 さあ、どうする。老人のしわがれた声が神威に決断を促す。いつの間にか立場が逆転している。追い詰められているのは神威の方だ。
「俺は……弱いやつに興味なんてない」
 そう呟きつつ、神威は――――ゆっくりと手にした傘を降ろした。
 老人は目を細めそれを満足げに眺めると、唇を歪めて告げる。
「では、本題に入るとしよう」




end


時系列的には「月蝕シンドローム」のちょっと前のお話。
元老も絡んできな臭くなってきましたね。