いい夢も、悪い夢も消えていく。
目覚めと共になかったことに。目覚めと共にリセットされた自分に。
それがずっと続けば均衡は保たれたのだろうか。それとも、このくらいの些細なブレなど、想定内とでも言うようになかった事にしてしまえるのか。
結果は果たして、そのどちらでもなかった。
月夜に兎・静かの海04
「神威は知ってたの?」
いい夢も悪い夢もおぼろげに記憶の中に残し、が最初に口にしたのはそんな言葉だった。確率七割くらいで怒り出すのではと思っていた神威は、少しばかり拍子抜けした。感情のままに怒りを爆発させてくれた方が、幾分かやりやすいと思っていたためだった。
補給のために立ち寄った惑星は月の表面のように青白く、夜と昼の堺がないような暗い宇宙に包まれているくせに、太陽の光だけは燦々と届く寂しい星だった。
日除けに傾けた日傘をくるくるさせながら、は殺伐とした死の星を歩く。神威の返答が無いまま、不思議だね、と続ける。
「記憶喪失になって、思い出すこともあるんだ」
「……」
「自分だとけっこう気づかないものなんだね。神楽ちゃんに言われて初めて気づいた……。私、けっこう寝言いうんだ」
「うん。わりとハッキリ」
初めて告げるの癖に、はくすりとはにかんだような笑みを零した。もし、その夢をいつも通り神威の隣りで見ていれば、がその事自体を自覚する事はなかっただろう。いや、出来なかっただろう。
単に“自分はうなされていたらしい”という事実だけが残り、何を夢際に呟いたかなどは、誰かに指摘されても忘れてしまう。記憶に残らない。それはすでに神威が行って、実証済みの行為だ。
それが今回、こうしてが知覚するのに至ったのは、その間が記憶を失っていたからだ。神威や第七師団、白兎、天涯号での出来事、その全てを忘れるのと共に、が受け入れたくない記憶を拒むそのシステム自体も無効化されてしまった。
だから、神楽の言葉は届いた。
『、うなされてたアル。泣いてたアル。オニイチャンって誰アルか?』
記憶を失っていたは、さあ誰だろうと小首を傾げるだけだったが、いい夢にも現れるその人物の事を忘れる事はなかった。
「記憶喪失になった間ね、ずっと懐かしい夢を見ていたよ。あの人と、母さんと、それから……オニイチャンの夢」
ずっと昔、がまだ地球で暮らしていた頃の夢。その幸せないい夢が実際の出来事なのか、それとも願望だったのかは分からない。
だが、ようやくが手に入れた正しい家族の姿だ。おぼろげで、霞がかっていて、はっきりした輪郭のない曖昧な姿でも、嘘の混じっていないそれが正しい姿。
「どうして記憶を売ってしまったのか、私は知らない」
キオク屋のこと、女王物質のこと、創られた記憶のこと、はくるくると傘を回しつつ掻い摘んで神威に説明した。
「失くしたいくらい嫌な記憶だったのかな。私には……わからないけど」
密かにあの場に居合わせた神威にはすでに知っている情報ばかりだったが、神威は黙って聞いていた。
「でも、そのキオク屋って人、もう死んじゃったんだって。だから私は、きっとこれ以上本当の事は思い出さないし、父親の事も母親の事もこれからも忘れられないんだと思う」
そう言って、腰に携えた刀の鞘に指を這わす。
母親譲りの紅い瞳をすっと細め、仕方ないね、と呟いた。
「刀も捨てられない。白兎もきっと受け入れられない。それが私の記憶の代償。だから、それを抱えて生きるしかないんだと思う」
今更それに抗おうとも思わないし、拒もうとも思わない。否定するつもりもないし、嘆くなど論外だ。自分で封じたのならそれ以上知る必要性を感じないし、自分が決めて背負ったのならば父の業も母の業も、呪いだろうと、呪縛だろうとすべて背負おう。
ありのまま受け入れると言ったの事を、いっそ潔いと神威は思った。
「そう」
ただ一言、相槌を返す。
はうん、と小さく頷き、神威の空色の瞳を見た。
「今度は神威の番。天涯号の仕事を請けた本当の理由、教えて」
が戻ってから数日。ろくに言葉を交わさなかった二人の間で、天涯号の一件はまだ片付いていない。
記憶喪失のをわざわざ迎えに来た事からも、天人の男が言ったように自分が神威に裏切られたわけではないとわかったが、それでも神威の行動が所々おかしい事には気づいていただろう。
神威の答えはシンプルだった。誤魔化すつもりも、嘘をつくつもりも一切なかった。
「取引だよ。依頼を受ければを自由にしていいって。だったら俺に迷う理由なんてない」
end
次回、神威のお話。