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月夜に兎・静かの海03





 キオク屋というのが居てな、とキツネと呼ばれる情報屋は語り出した――――
「俺達の同業者だが、名の通り扱う商品は記憶そのものだ。それを売り買いしているヤツがいる。まあ、酔狂でやっているような商売だから、大抵変な注文をつけてくるんだが、お前もそのケースの一つだった」
「それは……いつの事?」
「さぁなあ、お前さんが闇稼業についた頃か? 俺が紹介してやった。覚えていないのはキオク屋のアフターケアがしっかりしてたからか。ま、どうやらそれも期限切れみたいだがなぁ」
「待って。ちょっと待って」
 は米神に手をやり、キツネのもたらした情報を考えた。
 キオク屋? 記憶を売り買いする?
 天涯号の事件から変な話ばかりだ。こんな荒唐無稽な話をどう信じろという? だいたいそんな便利な店があるのなら、いかにアンダーグランドの存在だとしても、が知らないはずがない。
 だが、キツネが嘘をつくはずはない。プロだからこそ、値段に似合った情報に決して虚偽は挟まない。それだけは信じられる。
「俺のこと疑ってるだろ?」
 の心を見透かすようにキツネが尋ねた。
「まぁ、お前さんに取っては初耳みたいなもんだしなぁ。だが、それは違う。嘘を付いてるのは俺じゃなくて、お前自身だ。今までもお前はキオク屋の事を何度も耳にしたはずなんだ。だが、それを知覚しなかった。それだけだ」
「どういうこと……?」
「プロテクトってヤツだな。キオク屋にまつわる情報を一切拒否するようになってるんだろう。お前さんの売った記憶と一緒だ」
「私は……記憶を売ったの?」
 キツネは言い過ぎたとばかりに、ぽりぽりと耳の辺りを掻いた。まぁ長い付き合いだしなぁ、と前置きし、言葉を続ける。
「お前は俺の紹介でキオク屋に会い、ある記憶を売った。で、その記憶の代わりに入れられたのが、さっきの俺のシナリオだ。あんまりいい話じゃねぇのは、その方が余計に思い出さなくていいって事でだ。ま、当時のお前は何でもいいっつってたが」
「私……知らない。そんな事……」
「当たり前だ。キオクを売っぱらっちまったんだから。キオク屋のプロテクトがかかってる。代金を払わなきゃ、そいつは解けねぇよ」
「代……金」
 いくら、と反射的に聞いたに、金じゃねぇよ、とキツネは答える。
「キオク屋っつうのは酔狂な商売でなぁ。金はあんまり意味が無い。まあ、金で売り買いできる事もあるらしいんだが、高額すぎて当時のお前にゃ持ち合わせがなかった」
「じゃあ、何を?」
「まあ、待て待て。記憶の価値ってのは何だと思う? お前の脳みそに物凄い新兵器の設計図が入ってるとか、埋蔵金の在り処を知ってるとかなら別だが、大抵の記憶は他人にとっては価値がねぇ。そもそも売買なんざ成り立たねぇ」
「でも……、売ったんでしょう?」
「売った。そして、その代わりにお前はある制約を得た。あのジジイは“業”っつってたか」
 嫌な予感がした。業という言葉から、重苦しい鉄球のついた鎖を連想する。切っても切り離せない、記憶よりも厄介な、に纏わり付くそれ。
 そして、その予感は命中した。
「あのジジイはなぁ、他人の人生を見るのが大好きなんだとよ。事実は小説より、ってやつだ。お前の記憶を鑑定した時、ガキみたいに目を輝かせて楽しみだと言っていた。お前がこれからの人生、もがき、苦しみ、生きていく様が楽しくて仕方ねぇってな」
 瞬時にの瞳が鋭い光を宿したのを察し、俺じゃねぇよとキツネは両手を振る。
「言っておくが、お前が全部納得付くで売ったんだからな? 俺はただ紹介しただけだ」
「……わかった」
「で。お前さんは忌まわしい記憶を売ると同時に、業を手に入れた。ここまでくりゃ、なんとなく察しがつくだろう」
 二つ思い浮かんだ。
 腰のベルトに吊り下げた刀に触れる。大嫌いなのに、捨てられなかった父親の形見。
 そして、いつもを苛立たせ、苛み、追いかける、白い陰。
「刀と……白兎」
「ご明察」
 両親の象徴だ。父親は刀を、母親は白兎を。
 その二つの業が常にに付きまとう。切り離したくても切り離せなかったそれは、記憶の代償に得た制約だったのだ。
「頭ん中をいじくられてるから、お前は業から逃げられねぇ。記憶を買い戻せば、代わりに業は捨てられる。そういう仕組みだ」
 にはそれがいい取引だったのかどうか、わからない。
 かつての自分が何を厭い、記憶を封じたのか、は知らないからだ。
 仮にどこかでその核心に迫る情報を耳にしていても、それはきっとキオク屋の存在のように認識でないのだろう。そういう風になっている。業を得た代わりに、は己の耳を塞いだ。
「プロテクトが解けかけちまったのは、記憶障害の副作用ってことかな。核心までは届かなくても、断片的にそれをお前に思い出させたんだろう。ま、事故だな。じゃなきゃお前、俺を呼び出したりしなかっただろう?」
「そうだね……」
 わざわざ傷跡に触れるような依頼を、キツネにする事もなかった。知らないまま、白兎に苛立ち、刀を捨てられずにいたに違いない。
「そのキオク屋というのは?」
「買い戻すのか?」
「分からない……。けど、そうするかもしれない」
 の逡巡の表情を眺めてから、キツネははぁっとため息をついた。どうするかなぁ、と一呟きし、
「残念だが、買い戻すのは難しい。お前が記憶を売ったヤツは、つい先日死んじまったよ」
「え?」
「自然死じゃあなかったようだぜ? ま、こっから先は有料だ」
 聞くか? と尋ねると、はしばらく沈黙してから首を横に振った。今はいいという意味なのか、もう諦めたのか、その表情からうかがう事はできなかったが、キツネは客ではないにそれ以上語る事はないというように、途端に口を閉ざした。
「ありがとう。もう行く」
 そう呟いて、力なさげに去るの背中を、キツネはじっと見つめていた。
 商人というのはつくづく強欲だ、と思う。それはキオク屋しかり、情報屋しかり。今、に口をつぐんだ先の情報をちらつかせたら、財布を開くだろうかと考え――――話すなら手持ちがある時の方がいい、と判断に至ったのだった。





 が去った後、キツネは別方向へと歩き出した。依頼人と同じ出口から出ないというのは彼の用心の一つであったが、それとは別の目的があった。
 角を曲がると、壁にもたれかかった薄紅色の髪の青年がキツネを出迎えた。
「喋りすぎだよ、お前」
 と、どこか底冷えする笑顔が言う。
「料金分の情報を売っただけさ。あんたにもらってない金額分は、ディスクん中だがな」
 ふうん、と神威は目を細める。殺気の篭ったそれにキツネは身構えたが、この男はまだ自分を殺せないはずだと思いなおす。
 春雨・第七師団団長、神威。その名は情報屋など営んでいなくても、広く銀河に名を轟かせている。
 が神威のオンナになったとは聞いていたが、まさか神威の方が熱烈にを求めているとは意外だ。単なる肉体的な支配だけではなく、精神的な支配まで欲しているこの執拗さ。それほどまでに白兎というのはそそるのかと訝る。とうてい別種族である自分には分からない事だが。
「情報はもう売っただろ? 俺にまだ何か用かい」
 用がなけりゃ行くぜ、そう告げて神威の横を通り過ぎようとした時だった。
「キオク屋」
 神威が唇に笑みを乗せ声を発する。
「何処に居る?」
「あ? 死んだっつったろうが」
「言った。けど、それはが記憶を売ったキオク屋だ。“の記憶を持っているキオク屋”は何処に居る?」
 こいつ……
 情報では闘う事と食らう事にしか興味がない戦闘狂だと聞いていたが、意外と頭が切れるのかもしれない。データベースを書き換えるべきだ。キツネは胸中で認識を新たにする。
「あの世には金も記憶も持っていけないよ。死んだら、自動的に誰かのものになるようになってたんじゃないかい?」
「……そいつぁ別料金の話だ。悪いが一白兎の過去より高くつくぜ?」
 いいよ、と値段も聞かず神威は快諾する。
 さすがに師団長ともなれば、動かせる金も多額なのかとキツネは訝り――――次の瞬間、焼け付くような痛みに目の前が真っ白になった。
 目の前に神威の足が見える。視界がおかしいと思ったのは、相手ではなく自分が地面に倒れたためだった。
は知らないかもしれないけれど、眠ってる最中はよく喋るんだよ。そのプロテクトとか言うやつのせいで、全然わからないみたいだけどね」
 夜兎独特の白い足が、ゆっくりと、かかとを鳴らして近づいてくる。
「この件について俺は完全に蚊帳の外。だから無理やりこじ開けて入る事にしたんだよ」
「ま、待っ……」
「壊すのも守るのも、全部俺がするって決めた。だから余計なヤツには舞台を降りてもらうよ」
 だって嫉妬しちゃうよね、と青年は朗らかに笑い――――キツネは恐怖する。
 こいつは狂っている。理解の範疇を超えている。そんな我侭のために他人を殺すのを、まったく躊躇しない。
「キオク屋の居所。お前の命で釣りは出る?」
 そう微笑んだ神威を前にキツネは確信する。
「ああ、そうか……キオク屋を殺ったのは、おま」




end


ヤンデレどころの問題じゃない。