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月夜に兎・静かの海02





 マンホールから梯子を渡って降下すると、迷路のように入り組んだ下水道の一部に出た。
 待ち人はそこで、よっと片手を軽く挙げてに合図を送る。
 わざわざこんな所で会う必要があるのかと思ったが、相手が言うには敵が多いもんで逃げ道はいくつも確保しておきたいのだそうだ。
「よお、ウサギ。二年ぶりくらいか」
「キツネ」
 名を呼ぶと、男――――名の通り狐の頭を首に乗せた天人が、目を細めての顔を見た。
 本名は知らない。自分の事はキツネと呼ばせている。それも敵が多いための用心なのだそうだ。
 は名を隠した覚えはないが、この男はのことをウサギと呼んだ。夜兎のウサギなのか白兎のウサギなのかは知らないが、相手の性質をわかりやすくニックネームにする――――そして、本名を口にしないのも、男独自の用心であるようだった。
「組織を裏切って、宇宙海賊のオンナになったんだってなァ。暗殺稼業はお仕舞いか」
「裏切ったつもりはないけどね」
「ま、裏切り者はみんなそう言う」
 本心で言っているのかどうか分からないが、はそれ以上言葉を重ねる事を諦めた。
 水掛け論をするつもりはないし、今はあまり時間がない。
 神威の特別赦免という、またの立場を危うくするような特例で先の一件で暴れた分は不問に処されたが、どうにもアレ以来、阿伏兎の様子がおかしい気がする。監視を付けられている様子は無いが、見張られているような気がする。単独行動を長く取るべきではないだろう。
「それで、情報は?」
 は問うと、手にした封筒をキツネに向かって放った。それをキャッチして、中身にぎっしりと詰まった紙幣をぱらりと捲ると、キツネは毎度と呟いて目を細めた。
「お前の母親な、女王兎というヤツで間違いなかった。つっても王族だとか爵位があるとかそういうのじゃないぞ? ミツバチとかアリと一緒だ。白兎っつうのは独特の生態系を形成する。便宜上、群れのトップの雌をそう呼ぶってだけの話だ」
「……女王物質と言うのは?」
「そりゃ生物学の話だな。一般的には女王の分泌するフェロモンで、他の雌の生殖機能を阻害する……まぁ、兎の場合、ミツバチのそれとは違うんだがな。詳しい内容はこれを見ろ」
 そう言ってキツネは小さなディスクをに放った。はそれを一瞥してから、懐にしまう。
「次の情報よ。私は“私に何が起こったのか”を知りたい」
「質問が曖昧すぎるな。それは今か? それとも過去か?」
「まずは……過去。私の中に、私の知らない記憶がある。それはなに……?」
 ふむ、とキツネは思案顔で顎を掻いた。具体的には? と続きを促す。
「それは……私の家族にまつわる記憶。私は今まで自分の家族に対して、疑問を感じた事はなかった。思い出したい記憶ではなかったけど、それは過去の事だと割り切って来たの。だけど、最近それが……」
「ブレる?」
「そう」
 知らない記憶が紛れる。記憶を失い万事屋にいた時に感じた懐かしい記憶。だが、それは本来が持ち合わせていた記憶ではない。
「その家族の記憶とは何だ?」
 問われ、は口篭った。
 キツネとは長い付き合いだが、の過去にまつわる話をした事はない。の容貌から母親が白兎である事は検討がついているだろうが、父親がどこの誰でなぜ刀を振り回しているのか知らないはずだ。
 仮に刀の形状から父親がサムライである事を割り出したとしても、地球で暮らしていたはずの家族に何があったかなど知る由はない。
 だが、
「当ててやろうか?」
 キツネはすっと目を細めた。
「お前の父親はサムライで、毎日酒を煽っては母親を殴るようなろくでなしだった。お前はそれを見るのが嫌いだった。まあ、よくある話だな」
「な……んで、」
 の驚愕を無視して話は続く。
「ある日、そんな平凡な家庭に事件が起きる。父親がついに母親に向かって刀を抜いたんだ。お前は母親をかばって父親に切られた。それを見た母親が激昂し、父親を半殺しにした。それで家庭は崩壊し、ウサギの親子は星に帰った。そうか?」
「そう……だけど。なぜそれを知っているの。話した覚えは無い」
 有り得ない、とは胸中で繰り返す。
 誰にも話さなかった。それこそ、神威に出会うまでずっと胸の中に秘めて来た記憶だ。
 どうして、とはただそれだけを、唯一知っている言葉のように繰り返す。
 の驚きに反して、キツネは至極普通という顔をしていた。知っているさ、と難なく答え、
「なんたってそのシナリオを作ったのは俺だ」




end


女王物質の説明が適当ですみません。
蜜蜂の場合、女王以外の雌は女王物質の作用で産卵を阻害され、働き蜂となります。
兎の場合は完全に阻害するのではなく、
意図的に女王物質を出したり止めたりでき、
コロニーの雌の生殖機能をオン・オフ出来るものというイメージでいます。
さすがに女王が種族を維持するだけ産めるわけではないので、
女王兎がコロニー全体の出産をコントロールできると言うイメージです。
どこかでちゃんと説明できたら書く(かも)。