どうして殺してしまったの?
どうして――――殺してしまったの?
子供の泣きじゃくるような声で目が覚める。
「うっ……、うっ、や、いや……やだぁ」
か細い声で助けを求める。
「……?」
神威は浅い眠りから覚醒すると、の名を呼ぶ。
は目覚める素振りはなく、眉を寄せ伏せた睫毛の隙間からぼろぼろと大粒の涙を零し泣いている。
「やぁ……、いや、いやぁっ……」
「」
今度はもう少し大きな声で、肩を揺さぶっての名を呼んだ。
だが、が悪夢から目覚めない事を神威は知っている。幾度となく苛むこの悪夢は、を掴んで決して離さない。は繰り返し同じ夢を見る。
やだやだとまるで子供のように泣きじゃくり、お願い助けてと懇願し、そして悪夢の終わりにはこう言う。
いや……
お願い、
やめて……
「オニイチャン」
そして悪夢は細波が引くように、すっと薄れは再び深い眠りへと落ちていくのだ。
この光景を、神威は何度となく見ている。
そして朝目覚めたが、この悪夢のことを一切覚えていない事も――――知っている。
いい夢も、悪い夢もない。
いい夢も、悪い夢も存在しない。
初めからなかったこと、存在しないこととして処理されるからだ。
だからはそれを知覚しない。少なくとも起きている時のは、自我がその記憶にまつわるもの全てを拒絶しているのだ。
認めないのではなく、認められないのだ。
まるで猫が赤い色を知覚できないように、はそれを理解しない。
そういう風に施されている。
業を得る引き換えに、はそれを拒絶したのだ。
すうすうと軽やかな寝息を立て始めたの頬を、神威はそっと指先でぬぐった。
「ねえ」
と、決して目覚めないに声をかける。一人語りに過ぎないと自覚しながら、
「の夢の中に俺はいないの?」
指先が涙でしっとりと濡れる。涙の跡に唇を寄せると、ほんのりと塩辛い味がした。
「俺の名前を呼びなよ、。俺を呼べば、どんな奴だって蹴散らしてやる。どんな敵だって殺してやるよ? だから、ねぇ……俺の名前を呼びなよ」
呼びかけてもが目覚める事はない。夢に囚われている間、神威の声は永遠にに届く事はない。
神威はもどかしい想いを胸に残したまま、の頭を抱えて眠りについた。
月夜に兎・静かの海
「ずいぶんお早いお目覚めで」
夜も明けない内――――と言っても、宇宙では始終真っ暗だが、朝方ラウンジに向かうと目を血走らせた阿伏兎がコーヒーを手に一服しているところだった。
「あれ、お前。仕事終わったの?」
と、血走った目の原因をさらりと尋ねると、コーヒーの缶を握りつぶしそうな勢いで、おかげさまでと阿伏兎が返した。
とうに神威に仕事をさせる事は諦めたのか、アンタの仕事だろうがだの、他人事みたいに言いやがってだのと文句は言わない。が、さすがにこうもケロリと、悪気なく言われれば腹も立つ。
「いい加減、団長様の崇高なお考えを、この愚かな部下にも教えちゃくれませんかねェ」
嫌味たっぷりに聞いてやる。
の失踪で有耶無耶になったまま、天涯号で神威の零した意味深な言葉の理由を阿伏兎は聞いていなかったのだ。
俺はの味方だよ、と神威は言った。
だが、今回の一件で神威の起こした行動といえば、を苦しませるようなものにしか思えない。阿伏兎の証拠隠滅の苦労を無にするように、わざとの目に付くところに情報を残し、を天涯号に導いたのだ。
「俺は一瞬アンタが本気でを売ったのかと疑ったんだぜ?」
「俺が? まさか。をあんなバカ共に売り飛ばして、俺になんのメリットがあるの?」
「あんたに無くとも、少なくとも春雨にはあった」
「俺が元老院の狗になったとでも?」
「さあな、ジジイ共の考える事は俺にはよくわからねェ。が、ジジイがの正体を知って、第七師団にこの仕事を任せたのは確かだ」
おそらく、の機嫌が最高潮に悪かったあの時、元老院に呼ばれた真の理由はそれだったのだろう。表向きは事務的な内容だったが、そこで何かしらの判断が下されたのだ。そして、その判断は阿伏兎を介さず直接神威に降りて来た。
「当ててやろうか」
阿伏兎がピンと指を伸ばして突き立てると、神威は挑発的な笑顔でそれに応じた。
「今回の仕事。白兎の販売網に春雨が一口噛むって話だが、ジジイ共は兎が意外と高く売れると知って欲が出たんじゃねェか? で、アンタを呼んで何を命じたかと言うと、販売組織の乗っ取りだ。兎の利益ともども春雨のモンにしちまおうと――――ってめ、なに笑ってやがる」
話半分で神威がケタケタと可笑しそうに笑い始めたので、阿伏兎は眉を吊り上げて言葉を止めた。いい線だと思ったのだが、どうやら外れらしい。
「じゃあ、何だって言うんだよ」
拗ねたような顔で尋ねると、神威はくすくすと笑みを残した顔で告げた。
「破壊」
「あ?」
「ぶっ潰せって事だよ。兎ごと。めちゃくちゃに」
「お、おい、それじゃあ」
神威が細めた瞳をわずかに見開いて、にぃっと邪悪な顔をする。
「少し考えれば分かるだろ、阿伏兎? 白兎なんてものが吉原に流れ込んだら、花魁たちも商売上がったりだよ。アレは生きてる麻薬みたいなものなんだから。そんな玩具が輸入されたら、いずれ吉原も乗っ取られてしまったかもしれないね」
「だから……潰せって……?」
阿伏兎ははぁっと吐息をついて、眩暈を抑える様に顔を覆った。
理屈は分かる。神威の説明は最もだ。白兎がどうやら人を狂わせる何かを発しているらしい事は、の側にいて時に危うくなってしまう自分が誰よりも理解していた。
それが女王の血統なのか、白兎の血の成すものか分からないが、とにかくあの女共は人を堕落へ誘うような悪魔の側面を持つ。
その白兎が吉原に流れ込んだら、確かに経済バランスは大いに崩れるだろう。
だが、問題は――――だ。
「を……あの場に呼ぶ必要があったのか?」
命じられたのは神威だ。そして、白兎を前に殺意をダダ漏れにするくらい、苛立っていたのも神威だ。
なのに神威は最終的には指一本動かさず、標的と白兎をことごとくに殺させた。
もちろん、それは偶然だ。白兎は自殺だったし、標的がを襲ったのも、お互いの行動がたまたまあの場で重なってしまった結末だ。
だが、が乗り込まなければきっと白兎は――――少なくとも自殺などという白兎にあるまじき方法で死ぬ事はなかった。もクローンの存在を知らず、母親と同じ顔をした兎達が死ぬというショッキングな光景を目の当たりにする事はなかったはずだ。
ブローカーの男を一時は信用させるため?
いいや、違う。そんなまどろっこしい事をするくらいなら、この男はその場で相手の首を刎ねている。
なら――――何故だ。
問い詰めると神威はただ笑った。誤魔化すなと詰め寄ると、面倒くさそうに口を開いた。
そして、唯一言、
「言っただろ? 俺はだけの味方だって」
そう言って神威は、やはり笑った。
end
新章はじまり。
時系列的には「墜落少女」の後、神威たちと一緒に戦艦に戻ったあとの話です。
わりとシリアス、オリジナル満載で続きます。