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月夜に兎・墜落少女05





 が振り返るまでのその一瞬のうちに、あまりにも多くの出来事が起こり過ぎた。
 神楽の背後に潜んでいた新八が躍り出て阿伏兎に襲い掛かり、それに気を取られた阿伏兎が銀時の刀になぎ払われた。
 一方、神楽の奇襲は神威の反撃になんなく防がれ、弾き返され押入れの戸に大きな穴を穿った。だが、頑丈に出来ている夜兎にはその程度の攻撃はダメージにならず、神楽はがばりと起き上がると、から離れるアル! と大声で叫んだのだった。
「あれ? お前こんな所にいたの。よくよくも夜兎に縁があるなぁ。白兎ってメスも惹き付けるのかな」
 そうしての首筋に鼻先を擦りつけると、深く息を吸い込む。
「いや……、離して」
 は身体を震わせ抵抗したが、神威の拘束は一向に緩む気配はなかった。
「傷つくなぁ。俺は三日三晩、休まずを探してたのにさ」
 壁に叩きつけられた阿伏兎が、探してたのは俺達でアンタはボケッとしてただけじゃねーか、と毒づいたが、神威はそれを無視した。
はこんな所で家族ごっこなんかしてたんだ? 俺の事を忘れて。俺の事を放っておいて」
 ねえ、と耳元で神威の低い声が熱い吐息となって絡まる。
「弱い奴に用はないよ。弱いなんて俺は嫌いだ」
 ゆっくりと携えた傘を掲げる。その切っ先は床に崩れ落ちた神楽に向けられている。
「ねえ……こいつらを血祭りに挙げたら、は俺の事を思い出すと思う? 闘うことを、殺意を、狂気を、取り戻してくれる?」
 神威の手がするりとの身体から離れた。
 ゆっくり、ゆっくりと、月の光を背負って、神楽へと歩み寄る。
「上等ネ。返り討ちにしてやるアル」
 月光を受けて神楽の瞳も、妖しい光を放った。
 二人の血を分けた兎がそれぞれの獲物を手に対峙する。一人は笑みを、一人は怒りを顔に貼り付け、じっと間合いを測り合う。
 互いの凶器がそれに届く距離に入った瞬間――――
「やめて!!」
 間に飛び込んだが、二人の攻撃を一身に受け壁に叩きつけられた。
っ!」
 思い切り殴り飛ばした感触に神楽は手を震わせ、傘を取り落としの元へと走り寄った。
? !? しっかりするアル!」
「う……、神楽ちゃ……あの人、お兄さんって……ほんとう? ダメだよ……兄妹は、仲良く、しなきゃ……」
「もういい、もういいから……喋っちゃだめアル!」
 神楽の両目から零れ落ちた涙がの顔を濡らし、はふっと笑みを浮かべた。
 神楽の肩越しに自分を見下ろす青年へ視線を向ける。その瞳は冷たく、神楽とのやり取りをまるで茶番だとでも言いたげな顔をしている。
「ごめ……なさ……」
 は思わず謝っていた。
 突然現れた無法者に謝罪の言葉を告げたのは、彼がきっと記憶を失う前の自分にとってかけがえのない人だったのだろうと気づいたからだ。
「わたし……ずっと夢を見てた」
 ゆっくりと神楽の手に支えながら起き上がる。
「優しい夢。お父さんが居て、お母さんが居て、それで……。毎日、帰ってくるとお母さんが夕ご飯を作って待っててくれるの。今日は麻婆豆腐だよって。それで……お父さんが帰ってくるまで、待ってるの。三人で」
 切れた頭から顔の輪郭をなぞるように、鮮血が零れ落ちる。
 痛みが、霞がかった頭をクリアにしていく。
 柔らかく、暖かで、幸せだったそれは、夢という幻想に帰っていく。
「そういうのに、憧れてたのかな。そういう……普通の……家族。だから……」
「俺達にあるのは戦場だけだ」
 神威の言葉には悲しげに微笑んで頷いた。
 優しい夢も、暖かな家庭も、今はどこにもない。
 夢は夢に、幻想は幻想に、あるべきところへ戻っていく。そして血塗れの兎が戻るのは、血煙のけぶる戦場だけだ。
「そうだね。帰ろう……、神威」
 はふらつく身体で立ち上がると、ゆっくりとした足取りで銀時の前へ進んだ。
「行くのか」
 引き止めることも、問い詰める事もせず、ただそれだけを問う。
「うん……。ごめんなさい。もっと皆と一緒に居たかったけど、お迎えが来ちゃったし……思い出しちゃったから、全部」
「そんな! こんなの酷いですよ! こんなお別れなんて、神楽ちゃんだって……!!」
 新八の言葉に、は部屋の隅でうな垂れている神楽を見やった。
 ごめんね、と目に大粒の涙を浮かべる少女にかける言葉は、あまりにも自分勝手で。
「冷蔵庫に麻婆豆腐の作り置きがあるから、チンして食べてね。酢昆布は一日に一箱まで。虫歯になるから、ちゃんと歯を磨くんだよ?」
 銀さんも、と目の前でじっと自分を見つめる男に微笑みかける。
「……ガキと一緒にすんじゃねェよ」
「でも、甘いものは一日一つまでね。じゃないと、糖尿病また悪くなるから」
 そう告げて、はくるりと背を向けた。
 徐に着物の帯を解き、するりとそれを脱ぎ去る。
 夜兎独特のの白い肌は月光を浴び、まるでかぐや姫のようにそれ自身が輝いているようだった。
 無言のまま、神威がその肩に自分のマントを被せる。
「これ、お妙さんに。ありがとうって伝えてください」
 そうして下界の着物まで置いていく様は、まるでかぐや姫のようで――――新八はの手からそれを受け取る瞬間も、涙で顔を直視する事が出来なかった。
「ありがとう。また……、きっと会いに来るから」
 そう告げて、は去り際に頭を下げると、二人の夜兎に連れられて去っていった。
 玄関に穿たれた穴から、燦々と注ぎ込む月の光。まるで嵐のように去って行った出来事に、誰も口を開けずにいた。
 その時、神楽が散乱したガラスを踏み付けて、玄関先に飛び出した。
「あっ、神楽ちゃん!」
「約束アル!」
 大声で叫ぶ。
「ゼッタイ、ゼッタイ、約束アル! 会いに来なかったら許さないアル!! 会いに来なかったら、そこのバカ兄貴ぶっ潰しても会いにいくアル!! 銀ちゃんと、新八と……だから……」
 涙に流されて言葉は続かなかった。
 は零れ落ちそうになる涙を懸命に堪え、神楽に応えるよう大声を張り上げた。
「うん! 必ず会いに行くから! きっと……元気でね」
 それだけを言い残して、は月の光と一緒に消えていった。





 残されたのはが残した天井の穴と、そこらじゅうにヒビの入ったぼろぼろの壁。
「あーあ。だから記憶喪失者なんて、ロクな奴いねぇんだよ」
 そんな事をぼやきながら、銀時は天井に開いた穴から空を眺める。
 朝を迎えたそれはあまりに清清しい蒼で、何事もなかったような日常の始まりが皮肉のように思えた。
「ちょっ、神楽ちゃん! それ耐熱性の器じゃないから! 一緒にチンしちゃダメだよ!」
「ごちゃごちゃ煩いアル。料理は直感だってマミーも言ってたネ!」
「いや、直感でやってもう十分エラい事になってるからね!?」
 キッチンから聞こえてくる慌しい声と、焦げ臭い麻婆豆腐の香り。
 銀時はふっと目元を緩めると、おーい、メシはまだかー、と自らも日常の中へと戻っていった。




end


ラ●ュタネタが、いつのまにかかぐや姫に摩り替わってたよ!
さて、「月蝕シンドローム」から突然、坂田さん一家の話に飛んだわけですが、
次章からその間に起こった出来事のお話になります。
天涯号で起こった出来事、なぜヒロインは血塗れで落ちて来たのか、
そしてラピュタは本当にあるのか!? 次章「白の女王」に続きます。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!