阿伏兎の手により拘束具を外されたは、呆気なく終わった交渉に肩透かしを食らったような心地で自由を手に入れた。
戦う事くらいにしか興味のなさそうな神威が、麻薬の密輸ルートに価値を認めたのも驚きだったし――――なにより、こんなにあっさりと自分を手放した事が意外だった。
捕縛されてからの閉じ込めるような応対や、一方的な告白は一体なんだったのか。そして、あの抱擁は――――
神威はすでに興味などないのか、を見ていない。
勝手に傷ついて涙した事が悔しくなるくらい、あっさりとしている。
は思いを振り切るように拘束具を投げ捨てると、遣いの男の元へ行き頭を下げた。
「この度はとんだ失態を……。申し訳ございません」
暗殺に失敗した上に、身柄の代わりに密輸ルートを失ったのだ。組織に与えた被害は大きい。
だが、出迎えた男は朗らかだった。
「良いのです。ボスもあなたの身を、大変案じておられました。ご無事で何よりです」
ここまで気遣われると、逆に居心地が悪く感じる。
「でも、私のせいでご迷惑を……」
が心配そうに顔を曇らせると、男は優しく微笑んで良いのです、と告げた。
冷たい双眸がすうっと細められ、
「あなたの口を塞ぐ事の方が、重要ですからね」
パンッと弾くような音を聞いて、まるまる一拍後に――――は至近距離から胸を撃たれたのだと理解した。
月夜に兎08
「な……」
何が起こったのか分からず、は反撃よりも先に疑問を口にしていた。
その隙にも同じ傷を穿つように、パンッ、パンッ、パンッと渇いた音が鳴る。
心臓が熱い――――
先日受けた焦点の合わない弾丸とは違い、今受けた弾はすべてを確実に殺すために放たれたものだ。
はずるりと崩れ落ちるようにして、地面に伏した。
阿伏兎が背後で何か叫んでいるようだったが、の耳には正しく届かなかった。
視界が歪む。鼓動が――――まるで耳鳴りのように、鼓膜の奥から聞こえる。
「いやはや手間を取らせられましたな。ボスの我がままにも困ったものです」
男が声を低くして笑う。
「あなたの始末と一緒に、第七師団も潰して来いなどと言うのですから」
瞬間、応接間の扉を蹴破って武装した天人達が雪崩れ込んできた。すぐさま神威と阿伏兎を取り囲むように包囲する。
「我々があなた方と、真面目に取引などすると思いましたか」
ハハハハハ、と男が高笑いを上げた。
男は冷えた瞳を三日月形に歪め、
「殺せッ!!」
そう高らかに命じたのだった。
その瞬間、四方から構えた銃が一斉に阿伏兎と神威に向って放たれた。まさに蜂の巣と呼ぶように、何十、何百という銃弾がその身体に叩き込まれる。
だが――――神威は、笑っていた。
一斉に放火された銃弾をすべてかわし、いつもの凶悪なほどの笑顔を浮かべると、次の瞬間宙を飛び手当たり次第に敵をなぎ倒したのだった。
その反撃に応じるように、阿伏兎もまた携えた傘を振るって敵を叩き潰す。
「なっ!?」
まさかの反撃に男が絶句した。
驚愕する男の前に広がるのは、間違いなく血の惨状。だが、その血の大多数はすべて自分の部下のものだったのだ。
「何をしている! 殺せッ! 殺せーッ!!」
男の怒号も空しく、次々に上がる断末魔は味方のものばかり。
まるで雑草でも刈るように一太刀で、一瞬にして幾つもの命が散る。
「まさか……。こんな、こんなはずでは……」
男のこぼした言葉に、は密かに笑みを浮かべた。まるで三下の台詞だ。こんな男に夜兎を――――神威を殺す事など、出来るはずが無いのだ。
は、バーカ、と男に嘲りの言葉を放って、
「神……威が、あんたなんか……に、やられるわけ、ないじゃない……」
男の血走った目がを捕らえた。
おのれぇ、と歯軋りを鳴らし、手にした銃を構える。
「せめて貴様だけでも道連れだ!」
最期まで三下の台詞――――
はくっと笑みを浮かべると、訪れる衝撃に覚悟を決めた。
だが、男の放った弾丸はを穿つ事はなく――――
ぽたり、と空から降る雫にはぎゅっと閉じた瞳を開ける。
「道連れなんてされちゃ困るよ。の命は俺のものなんだから」
柔らかな声。にこやかな微笑み。
だが――――その目がぎろりと狂気を孕んで見開かれるのを、は地面に伏したまま呆然と見ていた。
の代わりに弾丸を受けた神威は、ぽたぽたと肩口から鮮血を滴らせつつ、その手で男の顔面を掴み上げていた。
ぐしゃり、と骨と肉が潰れるような音がして、
「死ぬなら独りで死ね」
冷酷に言い放ったのだった。
end
相手が偽の交渉を持ち掛けなくても、
ヒロインを迎えに来た時点で実は殺る気満々だった神威兄さん。
次回、最終話です。