月夜に兎05
「痕になってしまうかもしれないよ」
の喉元についた傷跡を撫でながら、神威はため息と共に呟いた。
雪のように白い肌に赤黒い指の痕。阿伏兎に絞められた時に出来たものだ。
「阿伏兎は加減を知らなくて困るね」
と、自分の事は棚に置き、肩をすくめて見せる。
神威はを自分の膝の上に乗せて、労わるように傷跡をさすった。
そうしている様は、恋人のように見えなくも無い。触れる指先は優しく、万力を振るう夜兎族にも、かつて自分を半殺しにした男にも見えない。
その白々しい優しさがには不愉快だった。
そもそも、なぜ暗殺に失敗した殺し屋をわざわざ生かしているのだろう。神威がに惚れたという話なら幾度となく聞いたが、到底信じられるものではなかった。
の身体中から迸る殺気を受けて、尚も愛おしいなどと思うのはどうかしている。
「……こんな茶番、いつまで続けるつもり?」
の冷ややかな視線を受けても、神威は微笑を崩さない。カリカリと鼻の頭を掻きながら、信じられないかぁ、とため息を一つ。
「俺、これでも本気なんだけど。君にはまだ伝わらない?」
「何が?」
「俺の愛情」
神威の口から紡がれると、なんと陳腐な響きになるのだろう。
冗談だと言うならば、は盛大に笑い飛ばすか、冷ややかに鼻で笑ってやった事だろう。
だが、この男はどう見ても冗談など言うタイプではない。
本気――――?
だとしたら、とんだ大馬鹿なのか、頭のねじが外れているのか。それとも――――その両方か。
「私のどこが気に入ったの?」
「俺への殺意の深さかな」
「どうしたいの?」
「俺のオンナにする」
「それで?」
「子供でも作ろうか。一男一女。俺をブチ殺そうとするような、凶悪なガキがいいな」
は端正な顔を、思い切りしかめて見せた。
最初の告白でも感じたことだが、こんな馬鹿な申し出を、はいわかりましたと諾々と受けられるはずが無い。
そもそも自分を殺しに来た女を側に置いて、無事で居られるつもりでいるのか。それならば、とんだ侮辱だ。
は手かせで繋がれた両手を、神威の首に絡ませ、ゆっくりと唇を寄せた。
それに応じるように神威もの腰に腕を回し、柔らかな唇の感触を楽しむように強く吸う。
刹那――――神威の口内に、苦い味が走った。
が奥歯に仕込んでいた毒薬のカプセルを、口付けと共に砕いたのだった。
毒に耐性のあるでなければ、一口で死に至らしめる凶悪な毒。
だが、神威は笑っていた。
そんなの小賢しさを嘲笑うかのように、更に深くの唇を吸う。舌を絡ませ、角度を変え、の身体の生気を全て搾り取ろうとするかのように深く求めた。
「んっ……んん」
呼吸困難に陥ったは、神威の胸を押してそれに抗う。ようやく唇が離された時には、はぜいぜいと肩で息を切らしていた。
「なんで……」
「毒なんて俺には効かないよ。そんなつまらないもので、殺されるつもりもない」
の思惑も何もかも知って、口づけを受けたというのか。
どこまで人を虚仮にすれば気が済む。は忌々しそうに神威の顔を睨みつけた。
「うん、いい顔だね。君はそういう殺気立った顔の方が似合ってる」
「戯言を」
は神威の首にかけた両手首をクロスさせ、手に繋がれた鎖でぎりぎりと喉を締め上げた。だが、神威の飄々とした表情を崩す事さえ出来ない。
神威はの両手首を掴むと、逆向きに力を込めた。手首に力を集中され、ぎしぎしと骨が軋む。
「このままじゃまた折れちゃうよ? せっかく骨がくっ付いたのに」
「うる……さい」
は痛みに顔をしかめながら、神威の首を絞めようと相反するように力を込める。だが、みしみし、ぎしぎしと音を立てながら、の交差させた手首は徐々に開かれていった。
そして、ブチンと――――
でさえも破る事ができなかった特注の鎖が、音を立てて引きちぎられた。神威の万力がまるで輪ゴムを引きちぎるように、プッツリとそれを引き裂いたのだった。
「良かったね。これで腕は自由だ」
だが――――腕は自由になれども身体に自由などありはせず、神威の膝に乗せられたまま身動きさえ取れない。
悔しそうに神威の顔を睥睨していると、ふいに浮遊感がを襲った。
神威に抱き上げられたと気付いたのはその一瞬後で、その時にはすでに神威はを抱え上げて移動を始めていた。
どこへ行くのだと不安げなの視線に答えることなく、神威は床に散らばったごみを踏みつけて隣室の扉を開いた。
少し大きめのベッドが部屋の中央に置かれている。に宛がわれた寝室だ。
神威は無造作にをベッドの上に放り投げた。
困惑するを無視して、神威は自分も靴を脱ぎベッドの上に片足を乗せる。
「なに、を……」
嫌な予感がの中で徐々に現実味を帯びて行く。
逃げるようにじりじりと後ずさるを追って、神威はもう片方の靴を脱ぎ捨て身体ごとベッドの上に乗り上げた。
プツ、プツと片手で器用に上着の前を開いていくその所作に、の恐怖は現実のものとなった。
神威は依然として変わらぬ笑みを浮かべたまま、
「早速だけど子作りしようか」
end
神威は微笑みながら追い詰めるタイプだと思う。