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月夜に兎04





 雪兎のように白い肌に銀の髪、真っ赤な瞳は血のように赤く、見つめるだけで血に飢える本能を呼び覚ますようだった。
 小娘のくせに静謐な雰囲気を纏った女は、雪の彫像のように冷たく艶やかな顔を崩さなかった。
 手かせに足かせ、特注の鎖で四肢は縛られて身動きは取れぬというのに、足元には真新しい鮮血が流れる。
「流石だねェ」
 阿伏兎はひゅうっと口笛を鳴らすと、床に散らばった屍を見やった。
 監視の任を与えていた団員だ。ステンレスの食器やら食い物がそこら中に散在している所を見るに、食事を運んで来た所を殺られたのだろう。
 相手が夜兎だという事を差し引いても、惚れ惚れするような手腕だ。流石――――神威がその腕に惚れただけの事はある。
 とは言え、そう何人も食事のたびに殺されては、たまったものではない。こちとら無尽蔵に団員が居るわけでも無いし、いくら悪の海賊とは言え下っ端団員は大切な構成員なのである。
「いい加減あんたも折れてくんないかねェ」
 の対面に座るように、血まみれの屍を乗り越えてソファの上にどかりと腰を降ろした。阿伏兎の巨躯にはいささか小さい。それは即ちこの部屋が、のためにわざわざ誂えられた物だという事を意味している。
「こっちも次から次に殺されて、人手不足なんだぜ? それに、あーあー、このソファ高いのに血で汚しちまって」
 殺した団員の血なのか、ソファの端々に血痕が残っていた。
「あのバカ……じゃなかった、団長が他人に興味持つなんて珍しいんだ。それがオンナともなれば、晴天の霹靂よォ。ま、あんたにとってはいい迷惑かもしんねェけど、身体一つで命が助かるなら安いもンじゃねーか」
 愛人稼業も悪くないかもしれないぜ――――
 そう言って冗談めかしてみたつもりだったが、は何の反応も返さなかった。
 の双眸は阿伏兎を向いているが、まるでガラスで出来ているように焦点が合わない。人形を目の前に話しかけているようだ。
 阿伏兎はカリカリと鼻の頭を掻いた。
「悪い事は言わねェ。命が惜しいなら、大人しくしてな」
 言った所でどうせ聞くまいと思いながら告げた言葉だったが、の薄い唇がわずかに言葉を紡いだ。
「命……?」
 紅い両目が阿伏兎を捉える。
「あなたは誰かを殺す時に、自分の命の心配をするの?」
「あん?」
 それは一瞬の出来事だった。
 の両手を繋いだ鎖が、ぐわんと弛んだと思うと、大きな波をつけて阿伏兎へと襲い掛かった。それを日傘で弾き返すと同時に、の足先が阿伏兎の喉元へと叩き込まれる。
 阿伏兎はあえてそれを避けず、の足首を掴みあげた。逆さ吊りにされる形での身体が引きずられる。
 が、その動きを逆に利用し、まるで振り子のようには身体を揺らすと、阿伏兎の首元目掛けてもう一方の足を叩き込んだ。
 衝撃。
 ゴキリと骨が軋む様な音がした。
 はただ冷ややかに、阿伏兎の身体が崩れ落ちるのを待った――――が、の予想に反して、次に阿伏兎が動かしたのは口角だった。
「ったく、とんでもねェお嬢さんだな」
 にやりと笑みを浮かべたかと思うと、寸での所での蹴りを防御した手の平が目に映った。その指が変な方向に曲がっている。蹴りの衝撃を、すべてその手に受け止めたのだった。
 阿伏兎はの両足を掴んだまま、力任せに上半身をテーブルの上に叩き付けた。
「かっ、は」
 容赦なく打ち付けられ、テーブルが真っ二つになると同時に、の背骨が悲鳴を上げる。
「あ〜、いっけね。コレも高いんだったか」
 そんな事を呟きながらも、阿伏兎の両手はの身体を離さなかった。
 もがくの喉元を、片手で締め上げるように握り締め、
「処世術って覚えた方がいいぜ? 死ねばどうにかなると思ってるかもしれないが、ここじゃあアンタには死ぬ自由だってねェ」
 そんな事は――――あの神威が赦すはずが無い。死などと言う自由を、簡単に得られるとでも思ったら大間違いだ。
「あのスットコドッコイが、自分のオンナにするって言ったんだ。アンタ逃げられないぜ」
 それは阿伏兎なりの、忠告のつもりだった。
 変に神威の怒りを買う前に、さっさと懐柔されてしまえと言うのが正直な願いである。変にが暴れれば神威の機嫌も悪くなるだろうし、それだけ仕事もしづらくなる。
 まったく、妙な女に惚れやがって――――
 わかったか? と阿伏兎はの首を更に締め上げて、凄むように顔を寄せた。
 ――――一瞬、笑んだかと思うと、まるで首筋に口付けを落とすように唇を這わせ、次の瞬間。
 獰猛な獣のように阿伏兎の首に噛み付いたのだった。
「っち、このアマ!」
 すぐさま、の頭を木片の散らばる床に叩きつける。
 だが、血のように紅い目が、阿伏兎の動揺を嘲るように細められていた。鋭い刃のように唯々、血の赤を求める狂気の目。
 この眼は――――あのバカに似てるんだ。
 ずっと阿伏兎も神威の奇行に呆れていたが、今ばかりは認識を改めざるを得ない。
 神威は誰よりも正しく、夜兎の血に敏感だった。たった一度の襲撃で、の中に眠るこの狂気と、自分と同じ匂いを感じ取っていたのだ。
「似た者同士、お似合いな事で」
 阿伏兎は薄ら笑いを浮かべると、ゆっくりと視線を背後に向けた。
 いつからそこに居たのか――――阿伏兎の頭部を狙うような形で、神威が手刀の先を突きつけている。
「間男なんて似合わないよ?」
「アホ抜かせェ。旦那様の不在に退屈そうにしてたから、話し相手になってやっただけじゃあねェか」
「ふうん、話し相手ね」
 床には細切れにされた団員の死骸に、ひっくり返った食器、テーブルは粉々に砕け、その上でが荒い息を繰り返している。
 これで服でも肌蹴ていたら、完全にアウトだったな――――そんな途方も無い事を考えながら、阿伏兎はゆっくりとから手を離した。
「それじゃあ、邪魔者は退散するかねェ」
 攻撃するなよ? というアピールと共に、両手を挙げて阿伏兎はゆっくりと部屋の外へと出た。
 じゃじゃ馬の調教は神威に任せることにしよう。あの団長なら、もしかしたら上手く乗りこなせるかもしれない。
 もちろん、それまでが生きていたら――――の話だが。
 阿伏兎はやれやれと肩をすくめると、に噛み付かれた傷を手当するために、医務室へと向ったのだった。





end


VS阿伏兎でバトルでした。
でも、阿伏兎はちゃんと手加減を心得ていそう。