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 寒い――――
 まるで氷室の中に寝かされているように、凍える。
 ふわふわとした掴みどころのない浮遊感に、前後不覚になる。
 自分は死んだのだろうか――――
 痛みはない、感覚も無い。ただ、寒い。
 まるで自身の身体が氷になっていくように、先端から体温が失われていく。
 きっと死んだんだ。そうに違いない。
 そう自覚するものの、特段感慨はなかった。
 暗殺稼業などしていれば、いつか死ぬ事もあるだろうと思っていたし、あの神威を相手取るならば十分ありえると覚悟していた。
 ただ――――負けたんだ。
 そう思うと、凍ったはずの心がざわつく。
 悔しい。素直にそう思った。
 自分はもっとやれるはずだと、そう思っていた。なのに――――まるで赤子同然。あの化け物めいた力の前では、自慢の武装も役に立たなかった。
 刃を砕くなんてめちゃくちゃだ。そんな事をされたら――――刃物で戦う自分は、絶対に彼に勝つことなんて出来やしない。
 悔しい……、ああ、悔しいなぁ。
 せめてあの人の本気の力を、見て、みたかった――――




月夜に兎03





 目を開くと、白けた天井が視界に広がっていた。
 妙に明るいのは自然の陽光ではなく、蛍光灯の灯りのせいだ。そんな事をぼんやりと思いながら、何が起こったのだろうと記憶を手繰り寄せる。
 自分はあの神威を襲撃し――――負けたのだ。惨めたらしく地面に叩きつけられて、殺された。
 それが――――
「起きた?」
 声をかけられ、ハッと我に返る。
 視線だけを向けると、オレンジ色の髪の青年が傍らの椅子に浅く腰掛けている。
 神威――――!!
 は闘争本能に火を付けられた様に、飛び起きて一撃を放った。
 否――――飛び起きたつもりでいた。
「!?」
 身体が動かなかった。ぴくりとも意思の通りに動かない。まるで四肢がばらばらになって、どこかへ行ってしまったようだ。
「暴れられると困るから、寝ている間に弛緩剤を打たせてもらったよ。会話はできるよね? どう、気分は」
「……一体、どういうつもり?」
 自分は拘束されたのか。雇い主を吐くために生かされたのか。
 一瞬、監禁されているのかと思ったが、この部屋は牢獄と呼ぶには明るすぎる。の勘違いでなければ、この部屋は医療室だ。自分の身体に巻かれた包帯、伸びた点滴の管がそれを証明している。
 だが――――分からない。
 敵である自分を生かしてどうしようと言うのだろう。取引の餌とするならば、治療する意味などない。適当に牢の中に転がしておけばいいだけだ。
 混乱するに答える様に、神威はにこりと笑った。
「俺は君を生かす事にしたよ」
「……私を生かして利用価値があると思っているの? だったら生憎だけど、」
「そんな事はどうでもいい」
 はますます不可解そうな顔をした。
 では、何のために生かした。何故、自分を殺そうとした者を生かしておく。
 その問いに答えようと神威はの枕元に顔を寄せると、
「今日から君は俺のオンナだよ」





 神威の手刀が放たれるよりも早く、高らかな銃声が鳴り響いたのは、神威本人にとっても意図しない出来事だった。
 銃弾に頭を弾かれて、の即頭部から血がとくとくと流れる。
 神威は視線をゆっくりと弾の飛来した方へ向けると――――
「はは、ははははっ! 馬鹿め、馬鹿女め! よくも、よくもわしに恥をかかせおって!」
 自称・極東支部局長の戌威族の男が、煙のくゆる銃を構えていた。
「やった! やったぞ! 殺してやった! わしが殺してやったのだ!!」
 散々暴れまわったを仕留めて気分が高揚しているのか、男の馬鹿笑いが甲高く響いた。
 耳障りだ――――
 ぽつりと呟いた神威の言葉を、聞き取れた者がいただろうか。
 ゆっくりとの上から身体を引き、男の方へと歩み寄る。
「おおっ、神威殿! 危ない所でしたな! しかし、ご安心めされよ。このわしが殺してやりま、」
 瞬間、ごすっと鈍い音をさせ、神威が男の顎を蹴り上げた。ふらりと揺れた頭部を鷲掴みにして、微笑を絶やさない顔を寄せる。
「誰を――――殺したって?」
「はっ、いや、ですから、あの女兎めを、」
 刹那、神威の放った手刀が、男の胸を貫いた。断末魔もなく、男は絶命する。
 その躯をもはや興味を失ったように放り捨て、馬鹿だなぁと神威は呟いた。たかが銃弾如きで夜兎が殺せるはずがない。
 夜兎を殺せるのは――――夜兎だけだ。
 神威は手首を降って血を飛ばすと、再びの元へと歩み寄った。
 トドメを刺すのかと団員達が固唾を呑んで見守る中、神威はあろう事かの身体を抱き上げて、団員達に撤収を命じたのだった。
「なっ、おい、何考えてやがるんだ、団長!」
 阿伏兎の静止の声に、くるりと振り返る。
「こんないいオンナ、殺してしまうのは勿体無いよ」
「……は?」
「連れ帰って俺のオンナにする」
 阿伏兎は思わず絶句した。
 いいオンナというのは――――同意である。卓越した殺人センス、闘争心、そしてその器量を以ってすれば、殺すのは確かに勿体無い。
 だが、オンナ――――!?
 あの戦う事と食う事にしか興味のない神威が、オンナにすると言ったのか?
 団員達の間に動揺が走る。
 無理もあるまい。そもそもどの世界に自分を殺しに来た女を、そのまま愛人にしてしまう馬鹿が存在するのだ。
 だが、神威は冗談など言わない。
 これは本気なのだ。本気で――――この娘の事が気に入ったのだ。
 説明は終えたとばかりに、神威はを抱きかかえて歩き出す。
 その背中に、
「団長、ふざけてんのかよ!」
 と、遠巻きに見ていた団員から、非難の声が上がった。それを皮切りに、コロセ! コロセ! と群衆の中から声が上がる。
 神威は困ったように、ぽりぽりと鼻の頭を掻いた。そして、いつもの笑顔を浮かべたまま、すっと手刀を掲げると――――次の瞬間、声の主はことごとく血塗れの肉塊にされていた。
「誰がふざけてるって?」
 笑顔で問うが、その声に応える者はいない。
 阿伏兎さえも絶句してしまって、二の句が継げない始末である。
 神威は凄む様にいつもの笑顔で団員達の顔を順々に見やると、
「今日からこの子は俺のオンナだから。手ェ出したら殺しちゃうぞ」
 と、殺人的な微笑みを浮かべて告げたのだった。




end


手ェ出したら殺しちゃうぞ、という事で馴れ初めです。
神威兄ちゃんは強い子、好きそうですね。