獣姫
正直に言うと見蕩れてしまっていたのだ。
あまりにも鮮やかに、何のためらいも無く己を穿つその指先を。
自分達は同胞で、その凶手に躊躇いが生まれるかもしれないという、淡い期待と言うか感慨を粉々にぶち壊してくれたその手を、いっそ潔いと感じてしまった。
殺す。穿つ。潰す。崩す。削る。切る。砕く。殺す。
殺意さえも凌駕した純粋な破壊衝動に、それ以上の感情などなく、まるでそれが当たり前のように――――そう、日常生活の中でとても当たり前に行われる行為のように、その指先は叩き込まれたのだった。
それは何の混じりけも無い痛みとなってこの身に置換される。
痛ぇじゃねぇか、チクショウ――――
ぼたぼたと零れる鮮血を感じながら、何故か笑けて来た。
自分は一体、何を期待していたのだ。
この娘が、まさか――――己と戦うことに躊躇いを感じてくれれば嬉しいとか、そんな事を思ったのか。
愚かしい。馬鹿みたいだ。
そんな事があるものか。なにせこの女は、恋人兼上官と立場上呼ぶに相応しい男にさえ、その凶手を緩める事などないではないか。
嬉々として殺しにかかるだろう。否――――そんな感情さえ無いか。あまりに当たり前すぎて、喜びすら感じないかもしれない。
何かを自分は――――取り違えていた。
神威の頭があまりにずれているせいか、これの事を正常だと思っていたなんて。
「アンタ。もう少しまともな思考が出来ると思ってたんだがなぁ」
へらり。虚勢を張るように笑みを浮かべてみせる。
「まとも?」
はきょとんと目を丸めた。本当に意味が通じないのか、小首を傾げて見せる。
「フツーもう少し考えるだろ。同族で殺し合うなんざ下らねぇとか、団長不在に暴れたら面倒な事になるとか」
は本当にそんな事など思い当たりもしなかったのか、ぱしぱしと瞳を瞬かせると、ようやく理解に至ったのか、ああ、と短く声を発した。
だが、それだけだ。
そうだね。そうかもね。じゃ、とりあえず続きやる?
そんな――――言葉が言葉として通じていないような反応。
関係ないのだ。そんな組織の中の不都合と、自分の中の都合が矛盾しあうという結論にすら直結しない。
理解しているだろうし、言い分は納得していると思うが、それはそれ、これはこれ。破壊衝動の矛先を収めるという我慢は思いつかない。ある意味、団長と同じくらい我侭に出来ている。
「白兎が大人しいなんてデマだったのかねぇ。何が飼育しやすい愛玩動物だ。餌をやろうとしただけで、噛み付いてくるじゃねぇか」
阿伏兎の軽口には怒ると思いきや、くすくすと笑みを浮かべて返した。
「大人しいよ? 私は無駄に暴れない。ちゃんと考えて……噛み付くから」
瞬間、の血に濡れた指先が腰の刀を掴み、ゼロ距離から阿伏兎に切りかかった。それを傘の先で受け止め、がら空きになった胴体に蹴りを埋め込む。
の身体は何の抵抗もなく吹き飛んだが、同じく何の痛みも受けていないのか、着地した瞬間地面を蹴ってミサイルのように自分に向かって来た。
血に飢えた野獣のような目。
何が大人しくて飼育しやすい愛玩動物だ、と胸中で毒づきながらも、少しだけわくわくしてしまっている自身に、阿伏兎はシニカルな笑みを浮かべて舌なめずりした。
嗚呼、狂っているというのなら、俺たちはきっと血の一滴から狂っている――――
夜兎の本能に踊らされ、同胞だろうが仲間だろうが、こんなにも闘う事を楽しいと感じてしまうのだから。
だが――――阿伏兎の傘がに向く事はなかった。掲げかけたそれがゆっくりと地面に向くのを、懐に飛び込んだは視認し、放ちかけた剣閃の軌道をぎりぎりの所で逸らせた。
阿伏兎の淡い色の髪がわずかに宙に舞う。
は伸ばした刀をゆっくりと下ろすと、不満そうに顔をしかめた。
「どうして?」
唇を尖らせて拗ねるような顔。まるで玩具を買ってもらえない子供のような反応だ。
そんな顔をするならば――――尚更、本気で闘ったりなど出来まい。
「俺は共食いは趣味じゃねェんだよ」
呟いて、子供を諭すようにの頭をぽんぽんと撫でる。
は益々不可解そうに顔をしかめた。
「そんなの、理由になってない」
「なってなくて結構だ。俺はこれでも副団長なんだぜ? 舐めてくれるなよ」
そう言って早々に立ち去るべく、阿伏兎は踵を返した。ツマンナイ、とぼやく声が背中から聞こえるが、生憎子供の文句に耳を貸してやるほど優しくもない。
扉の前で阿伏兎はふいと振り返ると、シニカルな笑みを浮かべて言ってやった。
「悪かったな。俺はアンタを喰らいたくねェんだよ」
はぱちりと大きな瞳を瞬かせてから、やはりどうして? と不思議そうな顔を返した。阿伏兎はふっと唇に笑みを浮かべる。
仲間だとか、同胞だとか、団長のオンナだとか、そんな事より何より――――
「ただ単に、きっとアンタが好きなんだろうなァ」
やはり不思議そうな視線を寄越したに、きっと意図など通じるまいと思いながら、阿伏兎は独り唇の笑みを深めた。
「人のオンナに手ぇ出そうなんて、手癖が悪いね? 阿伏兎」
コツリ、とかかとを鳴らして歩み寄る神威の存在に、阿伏兎はひっと小さな悲鳴を上げた。
格好良くをいなしたつもりの阿伏兎だったが、扉を出るや否や壁に背をつけて、阿伏兎の登場を待っていた神威と鉢合わせした。
向けられる笑顔と身体に纏う殺気の深さに、己の死期が近いことを知る。
いや、待てよ、団長。これには深いわけが――――
弁解しようと言葉を並べ立てた瞬間、容赦ないパンチが阿伏兎の頬にめり込んだ。
いや待て。待て待て。おかしいだろ、オイ。殺されそうになったのは俺なんだぜ?
そもそも先に噛み付いて来たのはなのだし、これは正当防衛というやつではないのか。
俺、殴られ損じゃね? と阿伏兎は視線で訴えかけたが、それを口にすることは憚られた。神威の微笑が、身体中に纏った殺気が、何か一言でも口にしたら殺しちゃうぞと告げている。
「どんな意味で好きだなんて言ったか知らないけど、いい度胸だね? 阿伏兎。俺からを奪えるとでも思っているのかい?」
コツリ、と再びかかとを鳴らして――――殺気を纏った神威が歩み寄る。
だから違ェ! そういう意味じゃねェ!
確かに好きだとは言ったが、別に惚れたと言ったつもりはない。あくまで仲間内の好意のつもりで口にしたのに、目の前のスットコドッコイは何を勘違いしたか、阿伏兎が自分に対して宣戦布告したとでも思っているのだ。
自分の居ない間に、とお楽しみ――――だいぶ血なまぐさいが――――した上に、勝手に口説いたと思っている。
「立場というものを、分からせてあげるよ。阿伏兎」
ゆらりと陽炎が揺らめくように、殺意に満ちた手刀を掲げる。
「お、おおお、落ち着け、団長! 誤解だ!!」
阿伏兎は懸命に冷静になるよう訴えたが、その声は神威の耳には届かなかった。
すっと掲げられた手刀がまるで鋭利な刃のようにきらりと光って、
「は後でお仕置きするとして、まずはお前にお仕置きだよ。覚悟は……いいよね?」
そして響くは悲しき獣の咆哮。
end
オンナとして好きというより、仲間として好きな感じ。
阿伏兎がかっこいいのは許せないので、
やっぱり団長に虐められるオチにしてしまいました(笑)
きっとヒロインは後でお仕置き(性的な意味で)