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夏宵

「ったく、なんで俺が……」

ぶつぶつと、何を今更。
悪態をつきながらも、丁寧な所作で着物の袂を合わせる彼が可笑しかった。
「だって、わかんないんですもん。不器用ですし」
極力、笑みを顔に出さないように努めたけれど、嬉しさと可笑しさで知れず顔が緩んでしまう。

夏の夕暮れ、池袋某所のマンションの一室で私たちは向かい合って腕を絡めあっていた。それだけ聞くとすごく艶やかな情景だけど、詳細に説明するならバーテン服にサングラスをかけた男に、着物の着付けをしてもらっているという奇妙な光景なのだ。
「あぁっ、くそ、左右逆だとわけわかんねえな! 自分だったら簡単なのによ」

ぶつぶつと呟きながら、一度締めた腰帯を解く。
「逆?」
「ああ、左前は死人なんだよ。だから先に右の襟を前にもってこなきゃいけねえんだ…」
へぇ、そうなんですか、と私が適当に返した相槌はもはや耳には入っていないだろう。先ほどと逆の順で襟を重ね合わせる。

表情は真剣そのもの。この出で立ちと、口にくわえた煙草がなければ、一体誰がこの男が池袋最強の男と気づくだろう。
正直、私も意外だった。もともと手先は器用な方だと知っていたけれど、まさか着物の着付けまで心得ているとは思わなかった。
本人曰く、んなもん適当にやっときゃできるだろーが、との事らしいが、不器用に不器用を重ねた超絶不器用の私には適当は適当にしかならず、とても外を歩けない格好で鏡の前で呆然としていたら、呆れ果てた彼が有無を言わさず腰帯を引っ張っていた。

(でも、ちょっとは期待しちゃったんだけどなぁ…)

当然、浴衣の下は下着一枚なわけで、脱いだり着せたりしていればチラリどころではないわけで、視線の先どころか視界には必ず入るわけで。

(なんでそれで、こうも平然としてられるかなぁ…)

しかも、今まさに帯を腰にまわすために抱きしめられているという格好なのに。
「よし、これでひとまずはいいか。後は帯を適当に結って……って、俺、女物の結い方なんかしらねえぞ!」
(違う! そうじゃない、そうじゃなくて…!)

胸中で深々とため息をつく。
だから、女物の結び方とやらに苦心している彼に、私は思わず声をかけてしまった。

「静雄さん……私に色気とか感じないんですか?」

彼の手が止まった。

あ、ヤバ。
失言だった。

てめえがいつまでたってもモタモタどんくせえことしてるから、手伝ってやってんだろうがあああああああああああ!!

殴られる、いや殺される!?
瞬時に彼の怒りを予測した私は、次の瞬間投げかけられるであろう罵倒と衝撃に身構えたが……

あ、あれ?

腕を止めたまま、彼は何も言わなかった。
代わりに、

「いぃっ!? く、苦しいです! ギブ、ギブ!」

これまでかというほど強く(もっとも本当に彼が本気をだしていたら、私の背骨はあっけなく折れていただろうが)帯を締められた。
どんどんと彼の肩を叩きギブアップを伝えると、仏頂面が私を見据えた。

「ったく、つまんねえこと言いやがって。俺がどんだけ我慢してやったと思ってるんだ」

ぼそりと呟いて、そのまま悲鳴を上げていた私の口を塞いだ。
噛み付くような口付け。
驚いて引っ込めた舌を容赦なく絡め取られる。
狩猟犬が野うさぎを仕留めるイメージを、私は酸欠になりかけた頭に思い浮かべていた。

「で、今日は来良のガキどもと一緒なんだっけか?」

「はい…」

「遅くなんねえうちに帰って来いよ」

「はい…」

「それとあのノミ蟲やろうが出没しやがったら、絶対かかわるんじゃねぇぞ。即、その場を離れろ。っつうか、視界にもいれんな!」

「はい…」

「それと、帰ってきたら覚悟しとけよ。煽ったのは…てめえだからな」

「……………はい」



end

季節はずれの祭りネタ。
静雄は絶対器用だ、という根拠のない妄想から生まれました。