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メモリー・ロスト 05





 他人に為りたい、と考えたことが無いといえば嘘になる。
 別の誰かを望んだわけではないが、確かに自分は己のこの力を忌み、嫌い、変われるものならばごく普通な平凡な人間へと生まれ変わりたいと願った時期があったのだ。
 だが、今はそうは思わない。
 今でも加減のできない身体を忌まわしく思う事はあるが、それでも自分を否定する事はなくなった。俺は俺のままでいいのだと、自分を受け入れることが出来た。そのことがひどく、嬉しかった。
 だから変わりたいとは思わない。自分以外の異質な物へ、逃げ出したいと思わない。
 そう思う人間を否定しないが、肯定するつもりもなかった。
 だから、街に『ロスト』が溢れた時に、特に気にも留めなかった。新種のドラッグが流行ったという噂と同じように、自分には関係ないことなのだと片付けていた。客にその手の人間が混ざる事があったが、それすらも静雄には関係がなかった。忘れているなら思い出させればいい。記憶が消えても、過去も借金もなくならない。忘れるのは自分だけだ。払うものはきっちり払ってもらう、それだけだ。
 なのに、だ。
「記憶が……ないだとお?」
 静雄はわなわなと肩を震わせ、眉間に深い皺を刻みつけた。
 頭に包帯を巻いたは、びくっと身体を震わせ、本能的にベッドの端へと後ずさった。
「し、静雄、落ち着いて落ち着いて! この人にキレたってしょうがないだろ。だいたい彼女がロストなのか、君の起こした事故が原因で記憶を失ったのか分からないんだから」
 それを聞いて、ひとまず怒りは収まったらしい。限りなく可能性は低いが、もし後者なら彼女はまったくの被害者である。むしろ加害者である静雄にすごまれる道理などこれっぽっちもない。
「え、ええと、とりあえず事情を説明するとだね、あなたは彼……平和島静雄が起こしたアクシデントに巻き込まれてしまったんだよ」
 アクシデント、というにはあまりにも奇妙な出来事だが、それは口にせず新羅は淡々と事情を説明した。その日、彼女が出会った事件について。そして、遥か昔、彼女と自分達は顔見知りであった事について。
 その間、静雄はなんとも表現しがたい顔で部屋の隅を睨みつけていた。
 もしかしたらこれは――――あのノミ蟲が一枚噛んでいるのかもしれない。
だとしたら話は簡単だ。すぐに新宿行きの電車に乗って、あのノミ蟲をぶっ潰す。
だが――――この奇妙な出来事のすべてを、臨也のせいにするには、まだ確証が足りない。
 話を聞き終えると、は静雄の方に体を向けた。
 怪我をしたのは事実なのでてっきり文句を言われるのかと身構えた瞬間、
「危ないところを救っていただき、ありがとうございました」
 と、深々と頭をさげたのだった。
「え、っと、あ…いや、俺はなんつーか、どっちかっていうとあんたを傷つけちまったんだけど」
「でも、こうしてお医者さんの所まで運んでくださいました! 平和島さんは命の恩人です!」
 と、静雄の手を取ってにこりと微笑む。
「いやいや礼には及ばないよ。命の恩人っていうか、むしろもう少しであなたを殺しそうになったんだから!」
 と、茶々をいれる新羅。瞬時に静雄のパンチもしくはキックを恐れ距離を取ったが――――静雄はに手を握られたまま呆然としていた。むしろ固まっている。
「あれ?」
 静雄はあらゆる意味でショックを受けていた。
 まず、命の恩人などと人生で初めて言われたこと。
 記憶を失っているとは言え、憧れだった先輩に手を握られたこと。その指先が自分の硬質なそれと異なり、柔らかく暖かかったこと。
 そして、天使のような微笑に目を奪われてしまったことだ。
「静雄? おーい、静雄くーん。あれ、もしかして照れてる?」
 意識を確認するように、新羅の手が二人の視界を遮った。
 それでようやく我に返り、
「な、おまっ、誰が照れてるだ! 殺すぞっ!!」
 動揺を隠すどころか拡大させて、静雄は拳を新羅のわき腹にめり込ませた。痛みに悶絶する新羅を傍らに、静雄はばつが悪そうな顔で頭をがりがりと掻き毟った。
「それで、だ。本当に何も覚えてないのか? なんであんな所を歩いてた? 持ち物も碌に持ってなかったみたいだし」
 言って、視線をサイドテーブルの方へと移す。
 何かヒントになるのではとの持っていたバッグを調べてみたが、出てきたのは多少の小銭とハンカチ程度の身の回り品だった。
 は小首を傾げて、わかりません…、と短く否定した。
「ただ…」
「ただ?」
「ただ……誰かに、追われていたような気がします……」
 静雄はぴしりと体を硬直させた。
 何だこれは。なんなのだ、これは!
 数年ぶりで出会った行方不明だった先輩は、記憶を失っており、しかも何者かに追われていると来た。
「わぁ! やっぱり相手は悪の組織!? 細菌兵器を秘密裏に開発する研究所とか!?」
 と、何故か楽しそうに――――そして、いつの間にかピンピンした表情で――――新羅が話題に参加する。
「わかりません。ただ……あのノートPCだけは守らないといけないような気が……」
「うんうん。きっと極秘情報がつまってるんだね! それを口外されると困る奴らが、きっとあなたを記憶喪失にしたんだよ!」
「そうなんでしょうか」
「うん、きっとそうさ!」
 もはやベタ展開以外の道はないといわんばかりに、嬉々として話を進める新羅。
 だが、ふと冷静になって考えてみる。
 バッグの中は確認したはずだ。
 その中にノートPCなど、
「なかったよね?」
 静雄が頷くのと同時に、は目を見開きはっと息を呑み込んだ。



end


神隠し、記憶喪失、悪の組織からの追っ手。
ベタベタ展開のまま続きます。